【演劇】「出生大博打」 ふくすけ

きちがい、びっこ、めくら、させこ、まんこ、巨頭症、薬、宗教詐欺、殺人、レイプ、近親相姦。ま、なんでもありですね。

出生の不条理をテーマにした放送禁止用語とびまくりの演劇。作・演出 松尾スズキ

ある製薬会社のミスで、薬を飲んだ妊婦から次々に奇形児が生まれていた。その会社の経営者であり、生まれた奇形児の中から特に症状の重い子供を集めて育成していた男爵/松尾スズキ。彼の一番のお気に入りは巨頭症のふくすけ/阿部サダヲ。ある日事件が明るみに出てふくすけは病院に収容される。
その病院ではたらくコオロギ/オクイシュージは看護婦から薬をもらっては打ち、彼女とのドラッグセックスを楽しんでいた。彼は女性へのDVが耐えない男であったが、目暗の妻にはいつも気遣い手を上げたことは無かった。(いつぞや落語家がいっていた。目暗とは差別用語でも何でも無く、目が明るいひとと暗い人という分類の言葉であって、目の暗い人への配慮の意が含まれていた。いつから差別の意を含んだのだろう。)ある日、病院にふくすけが入院したと聞きつけ、コオロギはふくすけを連れだしてしまう。

一方、メッキ工場を運営する地味で冴えない中年のエスダヒデイチ/古田新太は、蒸発した鬱病の妻スマ/大竹しのぶを探していた。幼少期に12人の友人からいじめられていたドモリ男である。夜をともにしたホテトル嬢のフタバ/多部美華子の協力で、彼女の知人である風俗ライターのタムラタモツ/皆川猿時とスマ探しが始まった。
そのスマは、歌舞伎町にいた。歌舞伎町の風俗王であり、兵器マニアのコズマ三兄弟のもとへ転がり込み、彼女のアイディアを取り入れた事業が悉く好評を博し、富を得ていたのだ。そのアイディアの一つは、「輪廻転生プレイ」。「一番刺激的なのは、死ぬ事なんかじゃない。一番は生まれる事でしょう。」という、出生の予測不可能な偶然性がはらむ刺激である。
出生の不条理。奇形として生れ落ちたふくすけは見せ物小屋で人気者となっていた。ある日、ふくすけ誘拐の罪でコオロギは逮捕されてしまう。出所した際にコオロギは、目暗の妻に「ふくすけと寝た?」と嫉妬心にまみれしつこく問いつめた為に、妻は転倒。目が覚めると人が変わり、神が降りてきたと言い出すのだ。そこからは見せ物小屋を離れ、ふくすけを教祖に奉り、宗教ビジネスを始める。

スマを探して上京したヒデイチであったが、妻の行方は依然不明なままだ。そんな中、選挙に立候補したスマのポスターをフタバが発見する。だがコズマ三兄弟の後援によって大人数の前で演説をするスマをやっと見つけたは良いが、人が変わった妻にヒデイチは会おうとはせず、地元に帰ってしまう。
一方、コズマ三兄弟には危機が訪れていた。内部の裏切り者の出現によって三女は死に、ふくすけの宗教団体によって選挙への反対運動が激化していたのだ。魔女狩りのごとく、次女も団体から攻撃を受ける。
その運動に巻き込まれたショックで元に戻ったコオロギの妻。宗教ビジネス記憶は無く、コオロギと二人で普段通りの幸せな生活に戻ろうとするのだが、「やっぱりふくすけと寝た?」と五月蝿く問いただすコオロギにに、妻は「寝たわよ!」と言い捨てる。コオロギは切れた。決して手を上げなかった男は、ダムの決壊するかのごとく妻に暴力をふるい続け、妻を殺してしまう。

ことの元凶の男爵は、純愛が過ぎて暴力を帯び、通り魔となって人を襲いながらふくすけを探す。たまたま対峙してしまったフタバは、彼に殺される。その後に巡り会った男爵とふくすけだが、ふくすけは男爵を殺してしまう。
地元に帰ったヒデイチは自宅の庭を耕していた。そこに出てきたのは赤ん坊の死体。実は鬱となったスマは、ヒデイチをいじめた12人の男と寝て彼らの子供を生み、生まれてきた子供を庭に埋めていたのだ。

川に落ちた子供を助けたスマは、歌舞伎町で、躁状態が終わり鬱に陥っていた。以前自分が子供を死産した時の事を思い出したのだ。そんなスマの前にふくすけが現れ、彼はセックスを強要する。セックスの最中に流れるニュースでは、病院に収容され今は行方不明のふくすけが、実はヒデイチとスマの子供だったことを告げる。
一方のその周囲では、コズマ三兄弟の次女が殺され、運動が激化。怒ったコズマ三兄弟の長女は、ぐちゃぐちゃになった人々の上に、兵器マニアとしてこっそり保管していた、最終兵器のミサイルを投下した。
本当はホテトル嬢にならずに純愛を貫きたかったフタバ、本当は普通の姿形で生まれてきたかったふくすけ、子供と幸せ家庭を築きたかったスマ。幸せな家庭を夢見ながら、彼らは無に帰す。

一人残されたヒデイチは、12人の友人を呼んで食卓を囲む。その料理は、赤ん坊の形をしており、食べる12人には白い覆面。彼らはとたん苦しみだす。食事に、メッキ工場で使用される青酸カリが入っていたのだ。そこへ、ヒデイチの、純愛の狂想曲が流れ幕が降りる。「これが私の純愛のかたちです。」と。



この舞台は、ストーリーラインも複雑で、そして決してハッピーエンドではなく、観た後に歪んだしこりをのこしていく。

生まれ落ちる場所は、自分の意志とは全く違うところにある。社会の価値観からみてマイナスに生れ落ちた人、マイナスに生まれ育ってしまった人が、そこからゼロに上がるには容易いことではない。少数派で孤独で、愛は純粋が故に歪み、歪んでしまった愛はなかなか元には戻らない。その悲しみをふくすけは実感し、見守り、破壊していく。

出生の不条理。ということは、最初の時点で既に決まっているのだろうか。人生の大きな方向性は。そう、子供は親の才と富と価値観を受け継ぐ。良い家に生まれた子供は親と同じように良い家を作る。それは、田舎町から上京した私にはとても身にしみて思う事であるし、周囲の人間の様な家系で育ったのならばまた違う生を歩んだだろうとも想像する。けれども生まれた後に価値観は植え付けられるので、良いとも悪いとも捉え方次第な所はあって、自分の家系がベースとなっているために中々自身の特異性は気付きにくい。はたからみればすげー不幸でも、その人が幸せと思えればいいじゃん、とも思う。

ふくすけはそれらの歪んだバージョンであって、一つの個性として肯定できればまた結果は違うことになるだろう。だが矛盾するが、無理に肯定という器にいれずに、自然に歪んでいくものである人間の異形は、返ってそうなることが人間くさくて至極まっとうな気もする。個人的にはそっちの方が好きだ。

私たちは気付かぬ間に、既に人生最大の大博打を打って、今ここにいる。けれどもそれが当たりかはずれかは、人生を生き抜いてみなければ分からない。人生をリセットする輪廻転生の思想は、次の博打に備えることだろうが、まだ若い私は、次よりも今を生き抜いていきたい。

【独り言】ハワイへ飛び立つ車イス③

おそらく最後のハワイの旅は、あっというまに、おしまい。
車イスご一行様は、さっさと帰国してしまいましたとさ。


旅程が違う私は、1日おくれての帰国となり、久しぶりに一人で羽を伸ばすこととなる。
ホノルルマラソンに出場した経験を持つ私は、ハワイは2週間くらい滞在して、ずっと走っていたこともあった。
だから、異国の地に立った感動は特にない。
iPodで落語を聞きながら、数年ぶりにハワイを走りながら考える。

待ち望んでいた一人の時間は、さっきまでの照れくさい騒々しさを失い、少し沈んでいた。
その久しぶりのぬくもりを失い、常夏の国での一人の世界、そこに落語の違う世界が飛び込んできて、混乱気味になる。

自然の中でマイナスイオンを浴び、考える。
「なんでハワイにいるのかなあ。」
自分の意志でここまで来たが、それは責任や義務としての意志であって、本心ではない。
もし自分の休暇があれば、ハワイになんて来なかった。

「家族」のパーツを為すということは、育ててもらった恩か?
その気持ちの為に、この休暇時のハイシーズンに、直前の思いつき旅行に無理に参加させられて、チケットだけで十数万はたき、上司の嫌みに耐えながら、たかだか3泊という期間を共に過ごすのか。
おそらく最後、だと思えなければ来なかっただろうか。
後悔しない為の行動なのだろうか?
価値を見いだしながらも、価値を換算する、サラリーマンの自分がそこにいた。


海岸沿いにさしかかった時、小雨が降りはじめていた。
前日までは晴れ続けていたハワイが、雲に覆われ表情を変えていた。
肌にあたる冷たい小雨の心地よさと、植物の匂いを吸い上げた湿度の重さを感じつつ、走り続ける。

ふ、と目線を遠くへ向ける。
そこに虹が出ていた。

以前滞在していた12月のハワイは雨が多くて、虹なんてしょっちゅう見ていた。
けれども、今回の旅では、前日までは晴天で、見る事は一度も無かった。

「ハワイの虹が見たい」
と言った父は、虹を見る事なく帰国した。
終に虹を見る事ができなかったのだろうか。リベンジとして、今よりも衰えた体でまたこの地に戻るのだろうか。

輪を描くことはない四分円の虹はいつまでも消えることはなかったが、物悲しく儚く、どこか違う世界へつながっているような、そんな虹に思えた。


振り回された3泊4日。
車イスご一行様は、真夏のハワイにおりました。
もはや価値観も違う4人が、血のつながりだけで、集まった。
特別もなければ、展開も想像の範囲内。
たまに会って、自分の出生を振り返ればそれでいい。
深い絆なんて建前で、本心とは違うけれども、けれども無くしたくはない。

辛うじて楽しかった。
そして、あっというまに、おしまい。
家族なんて、そんなもん。

【独り言】ハワイへ飛び立つ車イス②

「家族で、旅行も、いいものかしら」

前言撤回!前言撤回です!!


ハワイの空。海。緑。おだやかな時が流れる癒しの空間。と、思いきや。
「明日8時にレンタカー予約してあるから」
夜遅くフライト疲れと時差ぼけでやってきた娘への辛辣な通告である。
(私だけ予定が合わず個人手配だった)
「とりあえず3日間の予定はxxxで、xxxだから。あんた何かしたいことある?」
「いや…(…休みたいです。)」

田舎から出てきた人、特有の、「味わい尽くしてやる」という吝嗇さながらの根性で、びっちりとスケジュールが組まれていた。さようなら癒し。

なんだかんだで家族に対しても気を遣う私は、余計に疲れる訳である。
そして、世界の辺境秘境が好きな私と、海外旅行をほとんどしたことがない彼らとの温度差は、リアクションの大小に如実に現れ、無理くり作り笑いもしてやり過ごす切ない娘心を、両親は知るもんか。
嗚呼、悲しきかな。「家族」は、子供は巣立つと親が主役となる。


それはさておき、車椅子ご一行様のハワイ旅行、様々な発見があった。
特に、バリアフリーの精神と施設の徹底には、驚きが大きかった。
ハンディキャップをゼロへと近づける、そのためにきちんと行動する、アメリカの格好よさに、少し惚れた。

日本で、父は外出をしたがらない。
車椅子で出歩くときの、人目に耐えられない自尊心の高さと、衰え行く自身への体に直面する時の流れの残酷さ、自分でコントロールできない不甲斐なさ。
いろんな感情が父に渦巻いている事は、思考方法を受け継いだと言われる娘にとっては、想像に容易い。
だから、突然父がハワイ行きを許諾したことに対して、家族は驚いた。
その理由の1つに、そういったハワイの充実したサポート体制があったのだろう。

実際、ハワイと日本には大きな差があった。
海沿いを含む、どのトイレにも車椅子用があり、道は必ずスロープがある。
道行く人は誰もが手を差し伸べ、助けてくれる。
元々陽気な人が多く、助け合いの精神もある地域だと思うが、彼らの手の差し伸べ方は、助けるというよりも「敬い」に近いのだ。

これは、1990年に制定された「アメリカ障害者法」という憲法があるからだろう。
障碍者へ平等の機会を与えない事は、差別につながるというのだ。
他民族国家であるゆえに多様性を認めるアメリカは、多様性があっても黙殺し「ムラ」を守ろうとする日本とは大きく違うのだ。

ハワイで、父は「普通の人」になった。



アメリ障碍者
http://members.jcom.home.ne.jp/wheel-net/america.htm

【独り言】ハワイへ飛び立つ車イス①

私の両親は障碍者である。

というと、何やら重大な感じがして語弊があるような感じもするが(それも一つの偏見かもしれないのだが)そういう認定を受けていることは事実である。しかも、ふたりとも。(後天性である)
時折社会の偏見の目に愚痴をこぼしつつ、障碍者割引で喜んだりしている。

「普通」という言葉の意味に普遍性はもはや無い現代だが、両親は「普通の人の半分の生活」を2人で営んでいる。だから2人で1人の助け合いが日常となっており、そんな「半分夫婦」なわけなのだが、それでも慎ましやかに幸せな生活を送っていると、端で見ていて思う。(少なくとも時間と情報に謀殺される都会のサラリーマンよりかは。)
あまたある家族形態の、個性の1つだ。

そんな片田舎の半分夫婦に娘からのサプライズプレゼントがあった。
父の夢であった、ハワイへの旅だ。

「ハワイの虹がみたい」というのが、父の(寡黙な父の)零した希望だった。
それを健気な娘(と無理矢理連れ出された娘)が実現した。
健気な娘は、私の誇るべき姉であって、私は完全に家族という形を為す為の1パーツに過ぎなかったのだが、「おそらく最後の家族旅行」の手前、参加することに意義を見いだし、無理矢理(有給捻出がくそ大変な中)参加したのだ。
最後、というのは、死期とかそういった哀憐の色のついた深刻なものではなく、ただ「運命」としか言いようの無い、終わりへと収束する体による物理的な最後である。
つまり、もう体が動かなくなって、海外(ひいては遠出)へ行けなくなるという一線が、現実として見えてきているのだ。

私はその終わりへと近づく父の体をみていて、冷静に、それが抗うことができない必然であると受けとめており、それが姉とは違う価値観だった。個性というか、必然というか。ただそこにある事実であって、何の感情も起きないのだ。
ま、遺伝だし。私もそうなるかもしれないし。だったら私の可能性のある生を、思い切り味合わせてよ、と半分、恨みではないが、この血の流れに生まれついたことへの一つの反抗心を持っていた。だから父への同情はない。

けれども巡りあった家族。家族といて楽しいと思ったことはすくなかった幼少時代だが(むしろ何故分かってくれないのだろう、とか、どうしてそういう狭い考えなのだろう、と思う事が多かった。田舎ゆえの狭い考えに辟易した幼少時代。)、今となっては照れくさく、けれどもあったかい。その輪の中に、もう一度入って、都会ですり減った精神を癒したいとも思うことが最近よくある。

ねえ、家族で、旅行も、いいものかしら。

【落語】柳家花緑 「着想の精度」

最初その名前を見たときには、何て艶っぽい名前なのだと思った。

落語家って伝統の範疇で名付けられるのだと思っていたが(それか前座に多い馬鹿にふざけた名前で、頭から離れなくなる覚えやすさ重視の名前。)、ちょうどよい塩梅に現代の粋があるように感じて、目を引く。
柳家花緑。言うに及ばず、5代目柳家小さんの孫である。


CDで話を聞いたことはあるが、今日、初めて寄席で見た。
その日は叔父の6代目柳家小さん始め柳家の実力者が揃い、とても華やかな席だったように思う。
お客の質も良かった。落語を知っていて大きく笑う上客が会場を盛り上げており、噺家の方もぎょろぎょろと客席を見回しいくつかのギャグで会場の温度を確かめた後、
今日はよしとばかりに気持ち良さそうに演っていた。
いい席だった。

そうやって温まった会場に、トリの花緑が現れた。
もちろん客席からは「待ってました」の声が飛ぶ。
私も、心の中で「待ってました」とつぶやいた。

花緑の印象は、名前を見た時の想像とさほど変わらなかった。
40歳を超えているとは思えないほど風貌は若々しく、線は細いが、芯は通り、文字どおり「好青年」の印象である。
名にふさわしく繊細さと上品さが漂い、出来のよい若旦那のイメージがぴったりだった。

サラブレッドと言えばそれまでだが、9歳から落語を始め22歳で真打ちになったという花緑は、落語と共に育ち、受け継いだ才能と恵まれた環境で大きく開花した。
当たり前と言えばそうかもしれないが、持ち会わせた運と才を適切に(最大限に)使用したのだと思えてならない。
環境はどうあれ、背くことも堕ちることも容易いはずだ。
ましてや人間国宝のお家柄で、普通とは違う環境で、まっすぐに育つには、運と才の有効活用が無ければなし得ない、と勝手に思う。

花緑を観て思うのだ。運と才をうまく使う事ができる器は、こういう人なのだろう、と。
つまり、
「まっすぐな人だ」という印象。
冒頭で語っていた「着想」に関する考察から、そのストレートな人の良さがにじみ出ていたのだ。

彼の話した内容を簡単に要約するとこうである。
「日々の小さな発見が発見の連鎖を生み、日常を特別に変える。
その特別の中から着想を得て、落語という方法を用いて新しい芸を創るのだ」と。
古典の落語が生まれたのも、江戸時代の日常の中からである。

日々の中に隠れた小さきものの発見をすること、それはつまり「虫とり」のようなもので、
①日常に隠れた虫を探そうと目を凝らす姿勢と、
②虫を察知し獲得する感受性、
が必要になる。
感受性に対する持論なのだが、日々の流れの切り取り方や意味の見いだし方こそが②の感受性に影響している。
もともと枠なんてないのだから、それをどう獲るかというスタンスと、獲ったあとの表現にオリジナリティがあるのだ。

家禄は、②がサラブレッドが故に独特で、生まれた時点から人とは異なることは明らか。
けれども、それは「運と才」を持っているだけ。

そうではなくて、①の姿勢を持ち続けようとしているから、着想は精度を増す。


大概の人は、同じような虫をとるのだろう。
たぶんそれは、その人に根付く思想や考え方が同じような環境で育ったからで、同じ虫取り網(感受性)で、同じような虫取りレッスンを受けて来たからだとおもう(虫を探そうとする姿勢)。
虫取りでとれる物は想像に容易い。

花緑が自らの着想と感受性を嬉々として語る姿は、純粋な子供だった。
ひたすらまっすぐに。
自分の欲しい虫を探す、夢中になった少年がそこにいた。

彼をみていて、自分の持つセンスを研ぎすませる姿勢こそが、着想の精度を高める唯一のことなのだと思うのだ。


ちなみに、花録の演目は「猫久」。

【落語】「アハに似た体験」

「わたしは笑いに飢えている。」

と、最近しきりに自覚するので、とりあえず落語にずっぽりとはまってみている。今日はCDを10枚TSUTAYAで借りてしまった。
志の輔談春志らく、談笑。さん喬、喬太郎に市馬、左龍、一朝、昇太に花緑
知れば知る程広がっていく、落語の世界に、ずぶずぶと。
落語を聞きつつ、仕事をしては捗らない。捗らないから落語を聞く。
聞くと気になり止まらない。そうこうしつつの、ずぶずぶずぶずぶ。


「イマドキの人ならお笑いとか、宴会芸的な勢いで笑わす一発ギャグとかあるじゃん。何で落語?」
とよく聞かれるが、そういった場合は、

「イマドキの女一人、寄席に向かうのってえと、何でえ、悪いかい。」
と、心の中はなりきりの江戸弁で、表層はえへへーとごまかすのである。

というのも「落語=古風」というイメージが私の中にあって、落語好きと言ってしまうと、そのイメージが私にもついてしまいそうで恥ずかしく、自分の一人の楽しみは明るみに出さずにおこうと思ってしまうからだ。
ちなみに私は寄席で酒も飲む。(夜の席でも周りは全然飲んでいない)
平気で5時間くらい聞いていられる。
暇な訳ではないのだが、最近はくだらない飲み会に参加するくらいなら寄席に行きたいと思ってしまう。

…これでは嫁に遅れる。(断じて手遅れではない。)


遅れても良いから、つまんない合コンよりかは落語に浸りたい。
と、アラサーをして落語にハマらしめる理由。
ーーーそれは、「アハ」体験ならぬ「アハアハハ」体験が出来るからである。



昨今のお笑い番組では、瞬発的な笑いの提供が多く、流れで如何に笑わせるかという「空気作り」ありきの芸人が多い。
視覚的な滑稽さや、リアクションの面白さ、繰り返しボケ、激しい突込みなど、演出が派手で、一旦スイッチが入れば爆笑が連鎖する。
しかし笑いの琴線に触れねば、今一乗れないのだ。その場合は芸人の芸がイマイチと結論づけてしまう。
つまり、生み出されているのは「直感的な笑い」。感性が合わなければダメなのである。


一方の落語はどうか?
もちろん直感的な部分もある。あるが、こちらは、頭を使う笑い。つまり「想像力と論理」の笑いなのである。
言わずもがな、自分の頭で場面を描くのが落語で、笑えるかは自分の絵を描く能力にも要因があるし、噺家の熟練によっても違う。噺家が熟練すればする程、聞き手は絵を描きやすい。
そして何より、落語の知識があればある程、何倍も笑いが深まっていくから面白い。

そもそも古典落語の構成がすばらしい。
「いつもより早く出てそば屋を探して」(時そば
となれば、ここで伏線張りやがったな。と思うわけだ。
全体構成が分かれば、頭の中でストーリーを紡ぎ返せる。帰りに道に思い起こすことも楽しい。
(頭の中のストーリー構築、つまり噺の論理分析を無意識にやっているのだ)

また、
「熊さん、自分の死体が自分じゃないって気付きやがった!古典落語至上初だ!」(粗忽長屋×談笑)
みたいに、元の古典のオチが分かっていれば、
「そうきたか」というまた新しい笑い(というより興味関心)が生まれる。
知っている噺がくれば「あ!知ってる」といい気になれて嬉しいし、それをアドリブでひねられると、「くーやられた!」みたいに噺家の世界観を知らしめられニクイのである。
あとはただ単純に、考えて分かるサゲの時。
ガハハと笑った後に、「私はすぐ分かったから、いの一番に笑える。ムフフ」という優越感すら漂うから、なんともなんとも。

ということで、落語を聞いているときは、「分かった!」という「アハ体験」と同じ脳内麻薬が脳に充満してるはずである。
ぜったい。
加えて、「笑う」ことが目的の場だから、「アハハ体験」も同時にできるのである。
…これぞまさしく「アハアハハ体験」!


ああ、何とも心身に滋養たっぷりな落語。
当分嫁にはいきませぬ。

【落語】志の輔らくご in下北沢 地図を創る男「伊能忠敬」

会社をやすんだ朝は小雨で、先日の猛暑が嘘のように肌寒いから家にいても良かった。でも平日には普段できない特別な何かがあると思い、下北沢へ。本日オープンのBeerとBookが楽しめる知的出会いの場を視察し(URL: http://bookandbeer.com/)、当日券を買い求め、初めて「志の輔らくご」を見た。当日ならでは、最前列のパイプ椅子。


志の輔らくご in下北沢2012
リバイバル大河への道 「伊能忠敬物語」
http://www.shinosuke.com/


志の輔ワールド、はたして落語か、演劇か。
カテゴリはどうでも良いとして、2時間の講演となると、やっぱり頭の想像力が師匠にもってかれて、志の輔イリュージョンの中にどっぷり漬かってしまった。真似できるくらい。
彼の動きで私の頭の中に絵が(主体的だが半ば自動的に)描かれ、ネタバレすると、それが最後にリアルな実態として目の間に現れるものだから、やはり古典らくごでは体験できない世界が、噺家=演出家によって体現できるているのだなあと実感。更なる一つの新しい視点。これは多角的芸能と思ってしまうほど。

他の師匠が2時間話せばどうかは分からないが、志の輔師匠だからかもしれない。ストーリー構成が緻密で、うまいなあと感心すること多々。
というのもマクラからの仕込み時間が長いため、地理軸・時間軸・人物軸でいろいろと視点をずらされて、かつ数々のエピソードにたくさんの伏線が張られていたからだ。


【マクラ】
例えば、日本人の技量の話。マクラで、最近の牛レバの禁止という時事ネタに、マンナン社が出したレバ刺味のこんにゃくが似すぎている話を乗っけて、日本人の技量を讃えることをまずやっておく。(これは後の伊能忠敬の測量技術の秀逸さに繋げている)
そして今現在(6-7月)第二弾の時事ネタとして、中車襲名などに湧いた歌舞伎界を取り上げ、垂れ幕?の話で、贔屓客から幕を贈呈される話へ。中車属する一門に福山雅治が幕を送った話を持ち出し、その理由としてNHK大河ドラマで役者と福山が共演した事実を取り上げる。(後に大河ドラマの下りが出てくる訳だ)
そこから、福山が主演を勤めた、2010年大河の龍馬伝の話に流し、当時のブームを振り返る。地域講演に話が移ると、そこで地理的に日本全国を横断する視点が入ってくる。(聞き手の想像力がそうやってストレッチされていくのだ)

当時の長崎公演を振り返り、ためしてガッテンで懇意になったNHKプロデューサーが、楽屋裏に手みやげをもってきてくれる話が出てくる(ブームの異常さを物語ると同時に、それが本番の物語のラストシーンにちょこっと組み込まれる)。
そして、楽屋裏に福山さんのお母様到来。(ここで一つのアハ的な体験。世の出来事を客観的に語る師匠と、主観的な出来事として語る師匠の視点が合致するのだ)


【序章】
そうこうしながら、物語の序章へ、いつのまーにか入り込んでいくのである。
長崎公演の後、空いた時間で訪問したシーボルト記念館でのおもしろエピソードが繰り広げられる。記念館への訪問理由は、そこに飾られる大日本沿海地全図を見たかったからであり、なぜ見たかったかというと、その理由がさらに時を遡って語られる。
見たかった理由エピソードとして、千葉県は伊能忠敬記念館を訪問したお話へ。(過去に話が徐々に遡っていく助走シーン。この後は物語の舞台である江戸まで一気に飛ぶのである)

ここで伊能の地図と出会った師匠は感銘を受け、物語を創ろうと決意する訳だ。その出会いのシーンで、国土地理院が出した地図が重なる話をするのだが、そのすごさを「陳腐な言葉」で物語るから印象深い。というのも、師匠の「すごい」という漠とした一言が放たれて、おしまいなのだ。つまりここまで絵を描いてくれた先導が ふ といなくなることで、こちら側は穴を埋めようと想像力をフル回転させる訳だ。換言すると、それまでは師匠視点で描かれていた場面が、突如切り替わり、師匠が驚嘆するシーンを聞き手が第三者となって想像することになる、共創シーンなのである。

ここまでくれば、聞き手のイマジネーションは十分にストレッチされ、準備万端。
(ちなみに、後に映像となって出てくるのが前述の地図シーン。師匠が話した通りに私の頭の中で具現化されたイメージが、最後にその通りに映像化されたことに驚愕した)


【本章】
本章。
伊能忠敬の測量の旅へ。
詳しくは記載しないが、伊能、天文方高橋、測量隊など、一通りし終えた後に、シーンは現代へ写り、「伊能忠敬大河ドラマの主役にしよう」という大河製作の現代架空の物語が語りだされる(ここから創作らくごの本領発揮だ)。
千葉の委員会2名と作家が、伊能忠敬の物語を創ろうと躍起になっている。物語を作れなかった脚本家は、彼の隠された死に着目し、なんとか物語を書き終えるのであるが…。
江戸時代、伊能の死を隠す為のアリバイ工作のシーン(寺、医者、丼屋)。現代のシーン。そして地図完成から献上のシーン。はて、一体何人出てきたんだ登場人物が。どれだけ変わるのだシーンが。

その切り替え、絶妙。台を叩いたり、大声を出したりして切り替えるのだが、振り回されつつもやっとこさ追いていけるくらいのテンポなのだ。混乱寸前、だけれども(だからこそ)返ってそれが心地よかったりもする。
登場したキャラクターをそっくりを演じ分ける一人演劇力と、落語の本来の語り。特に江戸時代クライマックスの地図を献上するシーンは圧巻。そこから現代に戻り、オチまで持っていくところの余韻(仕草的な地口的なオチかしらん)。いやもーグッジョブ。

師匠曰く、最後の映像の5分間があり、その映像を起因とした着想で構成された2時間だそうな。
師匠の語りを、この時間集中して聞けるのは何とも幸せな時間なのだろう。口調が早いから、すんごい情報量。


落語は即興だと思っていたが、このような演劇的構成で成り立つ舞台もあるのだと。もちろん、携帯電話がなってもそれを話に組み込んでおり、(携帯着信が2回目となると若干キレ気味だった…)現在の時間軸との融合はなされていた訳ではあるが。一見時事を取り込んだ即興的に見えて、練り上げられた構成が裏に隠されている。
さて、志の輔の師である立川談志は、かつて落語はイリュージョンと語った。
その極意は何ぞや。
志の輔らくごにも伝承されているのだろうか?
…もちろん一見では分からない。分かってたまるかー!
だから、だからもっと観たい。自分の中で笑いが枯渇している。だから、もっと上質な笑いを消化したいのだ。
現在、志の輔舞台を検索中、そして来月は志らくと談笑も観に行く予定。


ちなみに、物語の中では架空であった、「伊能忠敬大河ドラマの主人公にしよう」という試みが(結局できないオチなのだけども)、現実世界で動いているらしく。終わりに師匠からその事実が伝えられ、帰りに推薦の記名場所が!2018年没後200年。ぜひ大河にということらしいが。虚構がリアルになるという、最近よくある流れです。
大河に出る際は伊能忠敬と4人の妻、というタイトルだそうな。うーん。それもどうかと。
http://www.chibanippo.co.jp/news/chiba/local_kiji.php?i=nesp1314581457

伊能忠敬の視点が世に残っていなくとも、なんとか彼の視点からの世界を垣間見れないだろうか。
だって、黒船来航前、隠居後50歳から19歳年下の天文学者に弟子入りし、地球を見たいが為に17年間地球一周分歩き測量を続けた、偉大なる想像力と探究心の持ち主の生涯は、見たいと思うじゃないですか。
たとえ日々タンタンと測量を続ける、構成的にも絵的に地味な話でも。小さな実のあるストーリーはきっとつまっているはずだ。