再会、際会、再開

 何かに出会うことのみが、歩み続ける活力になる。マンネリはきらいよ、ということではないのだけれど、自分ひとりだとどーしてもクセが強くて(えぐみのようなものがとれなくて)、ネットリした思考の沼から抜け出しくい。そうこうするうちに溺れてしまう(たいてい溺れていることに気づかないのだけど)。それに、ひとりじゃきれいに飛べないし躍れない。甘美な孤独とその代償を天秤にかけながら、身を削って生きているアプローチに反動が欲しい。
 何が言いたいかというと、書を捨てて街に出よというよりも、自分を出よ。もしくは自と他の境界に立て、ということ。偶然の魔力をもった他力と出会う事でおこる新しい何かに、ちがう方向に導かれ、然れども断続して歩ませてもらいたい。
 
 歩みを続ける上で感じる何かを穫って言葉でかこってピンで壁にさしておけるような、この場所にももう一度立ち返ってみる。それは問題は解決するより解消せよという言葉を受けて。「きれい」にしまっておけない言葉を留めることから始めるのも一つありかなと思う。