【独り言】ハワイへ飛び立つ車イス①

私の両親は障碍者である。

というと、何やら重大な感じがして語弊があるような感じもするが(それも一つの偏見かもしれないのだが)そういう認定を受けていることは事実である。しかも、ふたりとも。(後天性である)
時折社会の偏見の目に愚痴をこぼしつつ、障碍者割引で喜んだりしている。

「普通」という言葉の意味に普遍性はもはや無い現代だが、両親は「普通の人の半分の生活」を2人で営んでいる。だから2人で1人の助け合いが日常となっており、そんな「半分夫婦」なわけなのだが、それでも慎ましやかに幸せな生活を送っていると、端で見ていて思う。(少なくとも時間と情報に謀殺される都会のサラリーマンよりかは。)
あまたある家族形態の、個性の1つだ。

そんな片田舎の半分夫婦に娘からのサプライズプレゼントがあった。
父の夢であった、ハワイへの旅だ。

「ハワイの虹がみたい」というのが、父の(寡黙な父の)零した希望だった。
それを健気な娘(と無理矢理連れ出された娘)が実現した。
健気な娘は、私の誇るべき姉であって、私は完全に家族という形を為す為の1パーツに過ぎなかったのだが、「おそらく最後の家族旅行」の手前、参加することに意義を見いだし、無理矢理(有給捻出がくそ大変な中)参加したのだ。
最後、というのは、死期とかそういった哀憐の色のついた深刻なものではなく、ただ「運命」としか言いようの無い、終わりへと収束する体による物理的な最後である。
つまり、もう体が動かなくなって、海外(ひいては遠出)へ行けなくなるという一線が、現実として見えてきているのだ。

私はその終わりへと近づく父の体をみていて、冷静に、それが抗うことができない必然であると受けとめており、それが姉とは違う価値観だった。個性というか、必然というか。ただそこにある事実であって、何の感情も起きないのだ。
ま、遺伝だし。私もそうなるかもしれないし。だったら私の可能性のある生を、思い切り味合わせてよ、と半分、恨みではないが、この血の流れに生まれついたことへの一つの反抗心を持っていた。だから父への同情はない。

けれども巡りあった家族。家族といて楽しいと思ったことはすくなかった幼少時代だが(むしろ何故分かってくれないのだろう、とか、どうしてそういう狭い考えなのだろう、と思う事が多かった。田舎ゆえの狭い考えに辟易した幼少時代。)、今となっては照れくさく、けれどもあったかい。その輪の中に、もう一度入って、都会ですり減った精神を癒したいとも思うことが最近よくある。

ねえ、家族で、旅行も、いいものかしら。