【落語】志の輔らくご in下北沢 地図を創る男「伊能忠敬」

会社をやすんだ朝は小雨で、先日の猛暑が嘘のように肌寒いから家にいても良かった。でも平日には普段できない特別な何かがあると思い、下北沢へ。本日オープンのBeerとBookが楽しめる知的出会いの場を視察し(URL: http://bookandbeer.com/)、当日券を買い求め、初めて「志の輔らくご」を見た。当日ならでは、最前列のパイプ椅子。


志の輔らくご in下北沢2012
リバイバル大河への道 「伊能忠敬物語」
http://www.shinosuke.com/


志の輔ワールド、はたして落語か、演劇か。
カテゴリはどうでも良いとして、2時間の講演となると、やっぱり頭の想像力が師匠にもってかれて、志の輔イリュージョンの中にどっぷり漬かってしまった。真似できるくらい。
彼の動きで私の頭の中に絵が(主体的だが半ば自動的に)描かれ、ネタバレすると、それが最後にリアルな実態として目の間に現れるものだから、やはり古典らくごでは体験できない世界が、噺家=演出家によって体現できるているのだなあと実感。更なる一つの新しい視点。これは多角的芸能と思ってしまうほど。

他の師匠が2時間話せばどうかは分からないが、志の輔師匠だからかもしれない。ストーリー構成が緻密で、うまいなあと感心すること多々。
というのもマクラからの仕込み時間が長いため、地理軸・時間軸・人物軸でいろいろと視点をずらされて、かつ数々のエピソードにたくさんの伏線が張られていたからだ。


【マクラ】
例えば、日本人の技量の話。マクラで、最近の牛レバの禁止という時事ネタに、マンナン社が出したレバ刺味のこんにゃくが似すぎている話を乗っけて、日本人の技量を讃えることをまずやっておく。(これは後の伊能忠敬の測量技術の秀逸さに繋げている)
そして今現在(6-7月)第二弾の時事ネタとして、中車襲名などに湧いた歌舞伎界を取り上げ、垂れ幕?の話で、贔屓客から幕を贈呈される話へ。中車属する一門に福山雅治が幕を送った話を持ち出し、その理由としてNHK大河ドラマで役者と福山が共演した事実を取り上げる。(後に大河ドラマの下りが出てくる訳だ)
そこから、福山が主演を勤めた、2010年大河の龍馬伝の話に流し、当時のブームを振り返る。地域講演に話が移ると、そこで地理的に日本全国を横断する視点が入ってくる。(聞き手の想像力がそうやってストレッチされていくのだ)

当時の長崎公演を振り返り、ためしてガッテンで懇意になったNHKプロデューサーが、楽屋裏に手みやげをもってきてくれる話が出てくる(ブームの異常さを物語ると同時に、それが本番の物語のラストシーンにちょこっと組み込まれる)。
そして、楽屋裏に福山さんのお母様到来。(ここで一つのアハ的な体験。世の出来事を客観的に語る師匠と、主観的な出来事として語る師匠の視点が合致するのだ)


【序章】
そうこうしながら、物語の序章へ、いつのまーにか入り込んでいくのである。
長崎公演の後、空いた時間で訪問したシーボルト記念館でのおもしろエピソードが繰り広げられる。記念館への訪問理由は、そこに飾られる大日本沿海地全図を見たかったからであり、なぜ見たかったかというと、その理由がさらに時を遡って語られる。
見たかった理由エピソードとして、千葉県は伊能忠敬記念館を訪問したお話へ。(過去に話が徐々に遡っていく助走シーン。この後は物語の舞台である江戸まで一気に飛ぶのである)

ここで伊能の地図と出会った師匠は感銘を受け、物語を創ろうと決意する訳だ。その出会いのシーンで、国土地理院が出した地図が重なる話をするのだが、そのすごさを「陳腐な言葉」で物語るから印象深い。というのも、師匠の「すごい」という漠とした一言が放たれて、おしまいなのだ。つまりここまで絵を描いてくれた先導が ふ といなくなることで、こちら側は穴を埋めようと想像力をフル回転させる訳だ。換言すると、それまでは師匠視点で描かれていた場面が、突如切り替わり、師匠が驚嘆するシーンを聞き手が第三者となって想像することになる、共創シーンなのである。

ここまでくれば、聞き手のイマジネーションは十分にストレッチされ、準備万端。
(ちなみに、後に映像となって出てくるのが前述の地図シーン。師匠が話した通りに私の頭の中で具現化されたイメージが、最後にその通りに映像化されたことに驚愕した)


【本章】
本章。
伊能忠敬の測量の旅へ。
詳しくは記載しないが、伊能、天文方高橋、測量隊など、一通りし終えた後に、シーンは現代へ写り、「伊能忠敬大河ドラマの主役にしよう」という大河製作の現代架空の物語が語りだされる(ここから創作らくごの本領発揮だ)。
千葉の委員会2名と作家が、伊能忠敬の物語を創ろうと躍起になっている。物語を作れなかった脚本家は、彼の隠された死に着目し、なんとか物語を書き終えるのであるが…。
江戸時代、伊能の死を隠す為のアリバイ工作のシーン(寺、医者、丼屋)。現代のシーン。そして地図完成から献上のシーン。はて、一体何人出てきたんだ登場人物が。どれだけ変わるのだシーンが。

その切り替え、絶妙。台を叩いたり、大声を出したりして切り替えるのだが、振り回されつつもやっとこさ追いていけるくらいのテンポなのだ。混乱寸前、だけれども(だからこそ)返ってそれが心地よかったりもする。
登場したキャラクターをそっくりを演じ分ける一人演劇力と、落語の本来の語り。特に江戸時代クライマックスの地図を献上するシーンは圧巻。そこから現代に戻り、オチまで持っていくところの余韻(仕草的な地口的なオチかしらん)。いやもーグッジョブ。

師匠曰く、最後の映像の5分間があり、その映像を起因とした着想で構成された2時間だそうな。
師匠の語りを、この時間集中して聞けるのは何とも幸せな時間なのだろう。口調が早いから、すんごい情報量。


落語は即興だと思っていたが、このような演劇的構成で成り立つ舞台もあるのだと。もちろん、携帯電話がなってもそれを話に組み込んでおり、(携帯着信が2回目となると若干キレ気味だった…)現在の時間軸との融合はなされていた訳ではあるが。一見時事を取り込んだ即興的に見えて、練り上げられた構成が裏に隠されている。
さて、志の輔の師である立川談志は、かつて落語はイリュージョンと語った。
その極意は何ぞや。
志の輔らくごにも伝承されているのだろうか?
…もちろん一見では分からない。分かってたまるかー!
だから、だからもっと観たい。自分の中で笑いが枯渇している。だから、もっと上質な笑いを消化したいのだ。
現在、志の輔舞台を検索中、そして来月は志らくと談笑も観に行く予定。


ちなみに、物語の中では架空であった、「伊能忠敬大河ドラマの主人公にしよう」という試みが(結局できないオチなのだけども)、現実世界で動いているらしく。終わりに師匠からその事実が伝えられ、帰りに推薦の記名場所が!2018年没後200年。ぜひ大河にということらしいが。虚構がリアルになるという、最近よくある流れです。
大河に出る際は伊能忠敬と4人の妻、というタイトルだそうな。うーん。それもどうかと。
http://www.chibanippo.co.jp/news/chiba/local_kiji.php?i=nesp1314581457

伊能忠敬の視点が世に残っていなくとも、なんとか彼の視点からの世界を垣間見れないだろうか。
だって、黒船来航前、隠居後50歳から19歳年下の天文学者に弟子入りし、地球を見たいが為に17年間地球一周分歩き測量を続けた、偉大なる想像力と探究心の持ち主の生涯は、見たいと思うじゃないですか。
たとえ日々タンタンと測量を続ける、構成的にも絵的に地味な話でも。小さな実のあるストーリーはきっとつまっているはずだ。