新年あけました。まずはInputOutput体制整備

新年あけました。
 気持ちのリセットや特別な意気込みというものは、まったく無い2013年元旦。
 外は吹雪という極寒の地元。住んでるところは海だから雪はすぐに溶けてしまうけれど、東京とくらべるととても寒く、家は自然の大きな叫び声につつまれている。それは東京の雑音に比べれば、生きている抑揚があって、恐れは無いし、むしろ心は穏やかになる。深更、心しずかな一人の時間がある。
 その中で思うに、去年はアウトプットの頻度が少なかったなあ、と。インプットも少なかった。ひたすら発酵してたかもしれない。ふっかいところまで言って気付くことこそが最良だと思い込んでいた節があった。
 けれどもそうなのだろうか?
 直感はあっというまに本質を捉えているとは思わないだろうか。そうしてその本質にたどり着くまでの道のりを、うまく把握できないために、つまり言語化・構造化できないために「わからない」という状態になっていたのではないだろうか。自分のスタンスがぼやけて、多角的に見すぎているために、たくさんの情報の切り取り方に頭がこんがらがって、「わからない」と考え抜くことを放棄していたのではないだろうか。はたや、心と頭のずれを’ミテミヌフリ’をして、そう思いたくないことを「わからない」として断定を避けていたのではないか。
 年が明けた今更ながらに思う。「わからない」と言って、いったんの区切りをつけずに、宙に浮いたままの曖昧さを、曖昧がゆえの責任転嫁を、行っていた。自分を押し込めて、それを自由と誤認していた節もある。いやはや恥ずかし。
 今年は、インプットも大量にアウトプットも大量に。それを目標に、日々感じる、刹那のひらめきを謳歌したい。と格好良く新年まとめてみる。

 とりあえずRSSリーダー「Reeder(Google Reader)」を更新。様々な情報キュレーティングアプリが出ているけれども、やっぱり自分の目で見てSauceを押さえた方がよいなあ、と感じているから。
 もちろん補助アプリ併用するメリットは理解している。重複はあるけれど、RSS以外の情報収集の手段として、利用する方向で。FBのニュース情報も使えるかなと思ったけれど、内容に当たり外れがあるし、ジャンクな感じが否めないので、やっぱり息抜きツール&友人からの情報取得ツールでしかないか。
 その後は、はてブるか、Evernoteに蓄積して行く、従来型で行って、少し思うところがあれば、このブログか、公開できない書き物をDropboxに保管。
 むむむ。仕事が始まってこの体制を維持できるのかは正直やってみないと分からないけれど、時代の流れを傍観するのはやめる。そして、情報に溺れてしまうのであれば、捨てる者をとっとと捨てて、体制維持しなければとも思う。捨てることは戦略だし、その向かう先のスタンスを、決めておけば泥の中でもとりあえずの藻掻き方は分かる訳だ。

 そんな感じで2013年はじまる。