【落語】「待ってました」の魔力

昨今の落語ブームに乗っかる訳ではないけれども、元より好きだった落語を、久しぶりに聞きに末廣亭へ。
今日のお目当ては柳家喬太郎

彼は、週刊文春の過去の連載、堀井憲一郎の「ずんずん調査」にて、(勝手に)行われた落語ランキングでは’笑わせる'部門の第五位。
http://www.1096.jp/archives/2011/12/rakugo.html

しかし今日の題目は「抜け雀」で、笑わせるよりもしみじみ聞かせるタイプの古典落語だ。
それを、あの人が話すとどうなるか。
そりゃあ、もう、やっぱりというべきか、笑えるのなんの。顔の向きを大きく変えなくとも、表情の使い分けで1人何役も明確に演じ分ける演技力。緩急、メリハリといった抑揚の巧みさ。時事や自虐が加わる即興。早口な口調。
なんとも最前列で幸せなひとときだった。


喬太郎の噺の他に、久々の寄席には印象に残る事がたくさん合った。
中でも、柳家小ゑんの登場時におこった「待ってました」という客席からのかけ声は、何かはっとするものがあった。その一言で、噺家と客との空気感ががらっと変わったように思ったのだ。

歌舞伎の「中村屋!」とはまた違うのよね。
両方とも、お決まりのかけ声なのだけれども、「中村屋」は対象が、1:n(客:中村屋)だ。1つの完成された異空間(舞台)に対する、「ここが伝統の見せ場だ!」という客の期待の発露なのだと思う。(もしかしたらもっと深い意味があるのかもしれない。不勉強ながらの記述ですのであしからず)

一方、落語の「待ってました」は「あなた」に対してという、1:1のコミュニケーションが成立する。客との関係性で笑い作る落語の本質から言うと、完成された箱モノの歌舞伎と違って即興演技の落語は、相互コミュニケーションの活性化が成功要因の1つとなる。だから、関係性を作る前にこっちへすり寄ってくる客がいれば、ある程度成功は約束されていることになる。噺家は客との関係性を暖める手間が省けることを暗に読み取る。

加えて、自分が高座に上がったときに、「あなたの為にきた」と言われたら、どう思うか。そりゃ、もう有頂天でしょう。たくさんいる落語の人気選手を差し置いて、あなたを、まってたの。というピンポイント指名的快感。そりゃ、ちから入りますわ。
という楽観的な見方もあれば、「待ってました」=知人の前での演目となるから、その人が協力者か批評家なのか分からないけれども、普段より期待値が大きいということになる。だからいつもより緊張感が増すので、パフォーマンスが上がるってこともある。

どちらにせよ、「待ってました」の一言で客と噺家の関係性が大きく変わり、噺家のパフォーマンスが力強くなる。
言葉の魔力はおそろしや。