【映画】「ラビット・ホール」 重い一歩までの葛藤

裕福な住宅街の一軒家。
徐々にクローズアップされていくと、無心に庭仕事をするニコールキッドマンの憂いを帯びた美しい横顔。

ラビット・ホール
監督:ジョン・キャメロン・ミッチェル

交通事故で息子を無くした夫婦の葛藤と再起の物語。と、一言で言ってしまえばそうなんだけれども、この映画は、その一場面を詳細に、端正に切り取っている。ニコールと、周囲の人物の感情の起伏が詳細に描写され、とても繊細な印象を受けた。

母親が我が子をなくす悲しみは、喪失の類いでも根深く、立ち直りが困難なものだろう。子を無くし鬱となり、長い苦しみと再起の芽を描く「ぐるりのこと。」や、罪を感じて精神異常を来す「アンチ・クライスト」。いずれも喪失の重さに耐えられなかった妻を、男性目線で描く映画だ。一方、本映画は、気丈な妻の心情(と夫)を描く。お互い違う方向に向かって、立ち直ろうと藻掻く夫婦の、話だ。

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何をすれば、その苦しみから抜け出せるのか。
妹の妊娠や、周囲の人間の気遣いが余計にニコール演じるベッカを混乱させる。自分の思考を刺激する環境に、考え、動き、戸惑い、また考え。夫婦の考えの違いも露呈しながら、葛藤は続く。
そして転機を迎える。偶然、見かけた加害者の少年を追跡し、ベッカは交流を図ろうと行動に出るのだ。ベッカにとっては、それが、前に進む一歩という気がしてならなかったのだ。

大切な存在が、いつかポケットの中の小石になるには、時間と、新しい考え方が必要だ。その考え方が、加害者少年の考える「ラビット・ホール」である。それは「並行宇宙(パラレルワールド)」の考えを取り入れた少年の生み出す物語だ。それは、確立は限りなく小さいが、人生の別バージョンが進行しているという考えたに基づき、そこに亡き人々も生活している。ラビット・ホールで、その人に会いに行く、という物語だ(ラビットホールは不思議の国のアリスに着想を得ている?)

加害者少年との交流で、ベッカの痛みは徐々に和らんでいく。一方、通っていた遺族の会に行く事を辞めた夫も、過去を振り返るのではなく、現実を見つめるようになる。大きく変わってしまい上手く歯車が回らなくなった生活には、小さな変化を起こす事から始めることが大切だ。並行宇宙に行けないまでも、その変化を、起こそうと一歩踏み出したところで物語は終わる。この先は何が起こるか分からないけれども。

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「苦しみながらも前向きに進む」とは、言葉では簡単なことだけれど、その苦悩は重く自身でも処理が出来ず、けれども重い重い一歩をなんとか踏み出す。目の前に奇跡的なハッピーエンドはないけれども、重い足を踏み出すことで変化が起こる。変化がなければ、状況なんて変わらないのだから。とベッカと同じ心情になりながらも、自分がその立場になった時に、彼女と同じように行動が出来るだろうか、と考えた。

とても繊細な映画。
ニコールの美しさもさることながら、加害者少年の演技が印象深かった。被害者のベッカに真摯に向き合う、ジェイソン役のマイルズ・テラー25歳。すこし、マークザッカーバーグに似てる?