【映画】「ウィンターズボーン」バンジョーの奏で 

「この歌を聴いたのはミズーリで…バンジョーは鳴り響く」
という歌が、寂寥たる冬の、米国中西部ミズーリの田舎町を背景に流れる。
そのシーンから、何かが欠けている「とらえどころの無い不安」が、この映画の色なのだろうと思った。

ウィンターズ・ボーン
監督:デブラ・ブラニ

幼い兄妹と、心を病んだ母親の面倒を見る、17歳の少女リーが、その寂寥感漂う町(全体的に灰色の風景)で暮らしている。薬物製造の罪で服役していた父親が、仮釈放されているにも関わらず、6ヶ月家に戻らない。来る裁判に出廷しなければ、釈放時の担保となった家と森を売らなくてはならず、町のあちこちで父親を捜し、知人を訪ね歩く。しかし父親に関する話は町にある組織(薬物製造の田舎マフィアのようなものか?)と関係があるようで、皆が口を噤む。罵られながらも、リーは父親を捜し続ける。父に会いたい訳ではなく、それは幼子と母親を守る責任と、自分の不遇をぬぐい去る為に。

父親は法廷には現れず、立ち退きが迫る。
おそらく、父親は死んでいるだろう。それは捜して行くうちに、血筋の直感で分かっていたことだけれども、わずかばかりの期待は、死が証明されるまで残っている。また死んでいるなら死んでいるで、その証明をしなければ、家から追い出されるはめになる。

だが詮索は命取りになりかねない。町にある「おきて」を破った父は、おそらく彼らに殺されたはずである。その秘密を追う事は、自分を危険にさらすことを意味する。実際に深追いが過ぎて、ボコボコにされたところを父親の兄が支えてくれた。非協力的に見えた兄は、執着をしないよう、ブレーキをかけていたのだ。なぜなら、もし犯人が分かれば、きっとそいつを殺すだろうから。

結末。
見かねた組織の女たちが、父親の遺体のある場所に連れて行くと、家にやってくる。「父親の骨を拾いにいくぞ」と。
目隠しをされて、やってきたのが冬の池だった。痛い程冷たい水の底に父親は沈んでいたのである。そこで、父親を引っ張り上げるよう指示され、少女は冷たい水の中に手をつっこみ、父親を手探りする。そうして父親は見つかった。手をつかみ上げ、父の死が現実となったことを痛い程理解する。だが少女を待つ試練はそれだけにとどまらない。死んだ証明をする為に、その父親の手を、切り取るのである。チェーンソーで、過呼吸になりそうな程心が張り裂けそうな少女は、父親の腕が切られるのを、見つめるしかなかったのだ。その映像、圧巻。

最後のシーンでは、父親の兄がひよこを二匹、弟妹の為に持ってきた。そうして、父親がよく弾いたというバンジョーが父親の兄によって奏でられ、伏線が一つ張られた。彼は「誰が弟を殺したのか知っている」と言い残し、去って行ったのだ。
少し緩和された不安と、冬に感じる物悲しさが余韻として残った。

ーーー
淡々と描かれる映像の中で、バンジョーの奏でが心に染みる。

寂しく、もどかしく、不安で、それでも生きるという道を進んで行く。
現代にある理不尽なムラ(共同体)の犠牲となった父親。少女はそのムラで生き抜く試練に立たされ、そして乗り越えた。

強制的に大人にならなければならない不遇を嘆くのではなく、気丈に強く生きようとする姿が、しなやかで力強く、美しかった。ジェニファー・ローレンス21歳。他の映画も観てみたい。