【考察】NPOに群がる若者たち

NPONGO団体が増えている。

先日のYahoo!Newsでトップ記事になったように、国家一種を蹴って社会の為に働く道を選んだ若者がいた、ということが、現代社会を象徴していると感じる昨今。
■<NPO職員>霞が関より市民の力 キャリア合格の24歳
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120419-00000047-mai-soci

週末だけ集まり活動を行うNPOも多くいるという。2012年2月の時点で、認証団体数はおよそ45,000。日本のコンビニが4万近くだというから、それよりも多い。今や道を歩けばNPO法人に出会うようなものだ。
■参考;内閣府HP https://www.npo-homepage.go.jp/data/pref.html
かくいう私も、NPO団体ではないが、とある団体のボランティア活動は、週末にちょこっと参加したりもしている。

今日もその活動に顔を出してきた。そうすると、本日はとあるNPO団体とのコラボ企画という。5人の子供と活動する企画内容だったのだが、そのNPO法人からは10人くらいの参加があった。その団体は、平均年齢27-8の、社会人になれた頃合いの若者たちであり、隔月程度で活動を行っているという。仕事以外で何かで社会の役に立てないかという気持ちから始まった団体だそうな。


若者たちは何故動くのか。
私には2点あるような気がする。
一つは、陳腐な言い回しだが、「社会の為に」という人間の本質的欲求(自己実現)だ。
それはつまり、所属する企業が本質的な活動を行えなくなってしまったということを意味している。もちろん企業内で、CSR活動の一環で社会貢献を行うところもあろう。だがその担当に容易に行き着ける確立は低く、また社会貢献と銘打っても企業がすることは多くはPR視点が含まれている。結局計算が必要なんかい!とつっこみたくなるだろうが、それが経済成長速度が低下した日本で、企業が存続する上での宿命である。企業の中で社会貢献は、利益を上げるスキームがなければ成立しない。

一方企業に属す若者たちはどうだ。
情報化の中で、今まで隠れていた様々な情報が表出している。企業の裏や、人々の想い。そこで大学時代にそういう情報にふれまくった若者が考える。何が本質かと。ひとむかしまえはそんな情報全くないのだから、企業にその本質を求める。しかし今は、それ以外の場所でも求められる。容易に座組も組めるし、その手段もインターネットに溢れているのだから。
で、行動を起こすわかものたち。今の先行きが見えない日本を変える為に、利益を上げて国を大きくするのではなく、もう十分に大きくなったから、今度は質を求めましょうね、ということだろう。社会人として生活になれてきた頃合いで、集まり、活動を始めるのだ。


2点目。それは、「とりあえ誰かとわいわいしてなきゃやるせない」的な不安感の緩和と、「自分意義探し」の場としての利用だろう。
つまり、大学サークルの延長線上ってこと!

今「絆」と言うことばを聞くと、何故か裏がありそうでウンザリしてしまうが、団体でわいわいしたいのは、もともと日本人はつながってなきゃ動けないそういう民族の性質もあったはずで、それが震災で強化された訳です。とりあえず集まっていたいという不安からくる欲求。これも人間の本質的な帰属欲求。

若者は、結婚前は特に、とにかく集まってなんかしたいのだ。
ひとむかし前のおとなでも、キャンプいったり週末はわいわい団体行動していただろう。ひとむかし前の大人は、平日の企業活動で社会貢献をしている自負があったから、週末は自分の為に思い切り遊んでよい。だが、そうも言ってられない若者世代。企業活動をがんばっても、もう全てが売れる訳ではなく、持続性が無い。俺って、企業、ひいては社会の為になっているのだろうか、という疑問。その矛先が、週末に何となく有意義な活動をしていると満足できる、という自己満足の為の意義探しの方に向かっただけ、ということも一理あるだろう。
大義名分があるから、遊ぶのとは違って、罪悪感なく、生きている実感あり、といったところだ。

同じ感覚の人とお互いの感覚を確かめ合う場としての利用。人脈を広げるための、出会いの場。先が見えないから、なりたい大人がいないから、自分の意義を求める場。だから、若者たちはNPOに参加する。しかし、その結果、「ライトな社会貢献」たるものが出現してしまった。それは大学のサークル活動となんら変わらない。

つまり、こんなに長々と前提から話すのは、私は怒っているわけで。整理が必要な訳で。なんでかというと。

5人の子供のところに、10人もくんな! 
子供がのびのびできないでしょーーー!

ということである。
普通に考えりゃ分かるだろ。子供の為の活動であって、あんたらの為の活動じゃねえんだい。


途上国への資金集めを、現地へ行く為の資金として考えている輩もいるようで。増えすぎた団体のせいで、NPOといっても玉石混淆、信用できるか確かめねばならない。「社会貢献」ですら、軽薄化、ゆくは陳腐化して本質から遠のいて行く気がしてならない。

人が容易に増えすぎると、本気度の平均値を保つのが難しくなる。
そのうち「カジュアル社会貢献」的なものが流行るんだろうなあ。