【考察】文章と写真、論理と感性①

ある人が言っていた。
言葉と写真を仕事にする人である。
曰く、言葉を綴ること、写真を取ることは使う脳みそが違う。
「言葉は論理」「写真は感性」。
頭の切り替えが必要になるから、同日に作文と撮影を行わない、と。

その言葉を、私なりに新釈した。


・「言葉を綴る」の概念整理
時系列×空間という多次元に在る(発生する)具象を、記録する(留める)為の釘である。釘を何本か射し、一つの意味を含むcellを作る。そのcellを積み重ねて行く、つまり構築する作業が言葉を綴る、ということである。

・言葉を構築する
「言葉は構築する」ということにも種類があると思う。
書き言葉としては大きく下記か。
①自己の探索として。
②表現として。
③物語として。
④ビジネス等での伝達ツールとして。

①自己の探求
言葉を用いて自身の気持ちの細部を明示すること。読む対象が自分自身であるから、構成よりも何がトピックであるかに重点が置かれる。突拍子もない脈絡ではあるが、自身の考えの過程が見える。

②表現
詩歌など。人や自己の感情の機微を探究すること。

③物語
ある対象者に対し、伝えたい事象を物語ること。

④ビジネス等の伝達ツール
伝えたい意味を、適切に、分かりやすく伝えること。できるだけシンプルで的を得ていることが重要で、ビジネスの世界で用いられる道具。

冒頭の「言葉を綴る」とは、③④のことを指している。
読む対象者がいて、その人にあるメッセージを理解してもらい、更には心動かすこと、もしくは何らかの行動を起こしてもらうことが目的。

③〜④の幅は広くて、区切りも曖昧だけども、
イメージとしては、④=骨組で、③=骨組+粘度

誰かに理解してもらうためには、相手が理解しやすい、相手目線のストーリーが必要で、積み木のようにバランスよく構築されたものでなければならない。そしてその積み木を一つ一つ紹介していくことが、骨組みを創る事であり、=論理的に言葉の一塊(cell)を構築していくこと。
さらにその上に粘度を上乗せすることで、露骨でゴツゴツしたストーリーを読みやすくしたり、感情を刺激したりする。感性による膨らませ方はバリエーションがあるから、読み物は面白い。

骨組み=ストーリーであるから、ストーリー構築には論理的思考が必要であるということ。その上の感性の上乗せは、ストーリーがしっかりしていたら必要ないこともある。でも感性を刺激されないと、よっぽどの論理的思考の人でないと面白いとは思えないかもしれない。

世の中は、有機物のように、具象が複雑に連鎖している。どの部分にスポットを当てて、自分自身で要素分解して、分かりやすく再構築していくか、が「物を綴る」時には不可欠な思考なのだろう。

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一方写真はどうだろうか。

写真はその有機物のような具象の一部を、そのまま一枚の絵に切り取ること。
構築するという論理的思考では遅くて、直感的に切り取らなければならない。

切り取り方そのものが一つの表現技法であり、間接的なメッセージを含む。
もちろん意図的に表現しようとした場合、切り取った絵に「どのようなメッセージを出すか「意味合いを含むか」という「具象の分析+定義付け」は、先行して分析思考が必要だから必ずしも論理的思考は必要ないとは言えない。

だが切り取る行為自体が直感的行動だから、「物を綴る行為」と「写真を撮る」行為は、使う脳みそが違うという事。

なーるほどね。(続く)