【エロティシズム】浅草ロック座・追記(すぐに見れちゃったらどうす

先日の浅草ロック座レポートに引き続き。

「すぐに見えちゃったら、真っ裸になっちゃったらどうすんの?どやって興奮し続けんの。(だってあんなに穴からしわまでさらけ出しちゃって、リアリティ満載で妄想なんてすっ飛ぶじゃん。)」という素朴な疑問をつらつらと。


性的幻想の緩和
ストリップの特性上、すべて隠さず露わにすることで男性の性的幻想が少し希薄化するのではないだろうか。
岸田氏の性的唯言論の理論で述べると、
・人間の性は動物学的に異常で、いつでも生殖可能であり、繁殖期がない。
・期間限定でないため、生殖モードのスイッチとなる性的興奮を年中保ち続けるのは大変なことである。
・よって性への幻想を抱かなければ勃起できなくなってしまった
・その為さまざまな思想が性へ付与され、女性器が神格化され、「あの聖なる場所を拝みたい」となちゃってる
フロイトの性倒錯も確か同じ流れ)

女性器の神格化幻想は、ストリップでは早々に崩れてしまう。ものの数分で脱いじゃうからね。
脱ぎきり、女性器を拝むことが終着点であれば、終着点までの道のりをのばした方が興奮は高まるはずだ。つまり、性的興奮の最大化を目的とした場合、ストリップティーズは時間をかけて行う方が価値あることと見なされるはずなのである。
しかし、浅草ロック座に見られるように、ストリップは処女やAVなどと違って焦らす時間をとらない。すぐにすべてさらけ出す。「見ろ」と言わんばかりに。
とすると、ストリップは、性的興奮を目的とした商業的観点よりも、鑑賞を目的とした芸術的観点の方が強いのではないか?
つまり、そもそもストリップは興奮するところではなく、芸術鑑賞として裸体を拝みに行くところではないのか、ということ!

ストリップは芸術と法的に認められた、ノルウェーの事例。
【AFP 12/7/06 オスロ ノルウェー
「ストリップは芸術である。従って付加価値税(VAT)の免除対象とすべきだ」−ノルウェーの控訴裁判所が下した判決文の複製をAFPが入手した。
 控訴裁判所の3人の判事は全員一致で、「本件と同様の内容だった場合、ストリップは演技を組み合わせたダンスの一種である」と裁定。ノルウェーではVAT免除となっている他の舞台演技と対比した。
 この裁判は、オスロ(Oslo)で「ダイアモンド・ゴー・ゴー・バー」と称する店を経営する企業「Den Blue Engel(青い天使)」が、税務当局が要求した入場料25%税の支払いを拒否したことをめぐるもので、裁定は2005年5月に下された。経営企業側の弁護団は、「剣を飲み込む曲芸」やコミック仕立てのジョーク・ショーなど、他の舞台パフォーマンスはVATの対象外だと議論を展開。さらに、同店でのストリップ・ショーは低俗なものではなく、プロのダンサーが演じているものだと主張した。
 裁判所は税務当局に、同店経営者側が負担した約2万6216ドル(約301万6000円)分の裁判費用を支払うよう命じた。


結論:
「見えちゃったらどうすんのさ、興奮しつづけること出来るの?」
という問いに対しては、「いやいや、芸術として鑑賞するために行くのだよ。興奮するためではない」
と格好良く返してほしいもんんだ。

ちなみに、同行した友人は「ふつーに興奮して楽しんでた」と言っていた。
やっぱ芸術の見方はヒトによるんだ。うん。
バターを芸術と呼ぶヒトもいれば、死体に興奮するヒトもいるんだし。

「見ちゃった男性心理のその先」は
①そこから「やりたい(入れたい)」という興奮肥大(更なる妄想化)と、
②「見た!でも見ない方が興奮するなあ。あ、冷静になっちゃった」という興奮からの覚醒(満足、冷静)
に分かれる
これしかないでしょう。割合は知らん。

チラリズムの美学を超えて有りなんは、やるからやらんか、単なる択一。

無理矢理まとめてみた。
ちゃんちゃん