【雑感】かませ犬がほざく

金曜の夜は、「Thanks GOD!!」と叫びたくなる開放感が普段は殺伐としたオフィスにも漂うのだが、その日は予定無く、仕事をしようと思っていた。金曜日の夜に予定の無い女は無条件で寂しい女である。

その惨めさを客観視しないよう、仕事をがんばる自分を正当化していたところに、友人から「今日はあいてる?」という連絡あり。一気に「女」として昇格が決定いたしましたので、都会の、人もまばらなオフィスに残っているであろう、数多の寂しい女どもを高みから蔑んでやったぜ。うひゃっほーい!

連絡をくれた友人を私はとても尊敬している。彼と話をするのも着想を得られて刺激的なのだが、交友範囲の広い彼にくっついていると、色々な人と出会い語ることができる。それもまた私の瞳孔を大きくさせる。お目めきらっきら状態になる。視点の異なる人たちからの、たくさんの言葉は、自分を客観視させてくれる。その感性は軌道修正をするためのヒントに富む。海賊が、豪華絢爛な宝部屋に、一歩一歩足を踏み入れていくような気分にさせてくれるのだ。

昨日は、友人と数回飲んだことのある素敵な人。の間に入らせていただき、恐縮しながら会話をした。ので、忘れないうちに備忘録としてまとめることにした。


・女の市場価値
金曜の夜に予定がないことに諸先輩型から説教をされてしまった。やっぱり?
そう、市場価値が高いのは、まさに今、わかいうちである。この広い世の中には「金曜日に、しかも当日になって誘うなんて。(私を誰だと思ってるの。)」という強気の女性もいるそうで、仕事をするなんて、もったいない、と言うのだ。そういう女をどう思うかと聞かれたので、私はこう回答した。
「10年後も同じことを言えるか聞いてみたいですね。」
だが少し、発言に(あれ?)と思うしこりがあった。

発言の意は、おこがましい、ということである。だが「何様だキサマ!」と思うと同時に「だがそれは負け犬の遠吠えか?」とも思い、どきりとしてしまったのだ。女の旬の時期、つまり女としての市場価値が高いことを理解して、予定をつめ入れ、横柄さを丸出しにしながら購入希望の男性の間を闊歩する。そんな女性には「必然的な自信の表れ」あるのではないか。彼女を卑下する自分には、自己正当化によって気付かないようにしている、モテる奴への羨望と、出来ない自分への皮肉がある。

ずぼら女子が、恋を理由に「おしゃれをしないなんてありえない」と豹変するのと同様に、やろうと思えば出来なくはないと言われたが(「なぜなら男は馬鹿だから」らしい。)、そこには明白な境界線が存在していて、それを超えようとは思わない。市場価値が下がった時に今いる場所に戻ってこられないからだ。一度ランクを上げてしまうと、もとのランクには戻しづらい。それに今の市場価値が安定的に続くとは思えない。10年後に、過去の栄光に浸ってしまうことの方が、今より惨めだと思うのである。私ならば、それよりも違う価値を出せないか若さをそちらに投資する。…だが、これを遠吠えと言わずして何と言おうか。

かく言う私は「つなぎの女」。「予定の前に、軽く一杯なら付き合うよ」と言わしめるポジションである。負け犬ではないけれども、かませ犬である。なぜなら、予定を入れると身動きがとれないような気分になってしまうので、直前に誘うことが多いからだ。束縛を嫌うがゆえの行動が、女の市場価値を高められない、実のところ大きなリスクだったりする。ああ不器用。


・ことばの意味
ニュースにもあったが、言葉の意味が時代の文脈によって意味が変化している。
若気る、割愛、生き様、拘り。ぶいぶい。
ちゃんと正しく意味を使えているであろうか?
思うに、よく企業が使う「こだわり」「おもてなし」という言葉は、もはや陳腐化していて、何かまとまるけど薄っぺらい。ことに「こだわり」に関しては、「拘り」と書き、もとは「拘泥」というネガティブなニュアンスが強かった言葉である。職人の魂とか尊ぶべき価値して使われるのはしっくりこない。
キーとなる言葉は、広がりすぎるとその価値が低下する。なぜなら同じ言葉を使っていても、その言葉で表現される意味(つまりリアルな事実)の質が、広まるにつれて低下するからである。


何か他にもとても考えることがあったのだが、二軒め、三軒め、終いには、この年でやってはいけない、ビール餃子ラーメン。翌朝の胃痛にかき消されてしもうた。
思い出したら追記しよう。とても素敵な夜だったから。