【コラム風】渋谷円山町 下り坂の事故現場

 ある晴れた日曜の午後のことである。場所は渋谷区円山町、大通りから一つ裏の急斜面の下り坂。この通りはいつも若い人たちで賑わっている。

 映画館からの帰り道、私はふらふらとその坂を下っていた。だが突如、視界が真っ暗になる。周囲の声だけははっきり聞こえ、暗い視界の左側からは、お姉さん大丈夫?と男性の声。右側からは、立てますか?と女性の声。かろうじて目をあけると眼前には一面に広がるアスファルトの海。
 人間はショック状態になると呆然とするか、取り乱すか、号泣するかどれかの反応を見せるのだろうが、今回は大号泣だった。周囲に人だかりが出来てもお構いなく、わんわん泣いていた。別に痛くて泣いているのではない。背後からの突然の衝撃で、混乱していたのである。

 救急車のサイレン音が近づき、大丈夫ですか、と警官らしき男性もやって来て、目撃者との話が始まる。酔っぱらいが俺の自転車に勝手に乗って、突っ込んだ、と話す目撃者は警官に対し喧嘩口調であった。防犯登録してないでしょ自転車、と警官も強い口調で反論する。突っ伏した被害者をおかまいなしに喧嘩を続ける男性たち。一方その間も号泣が続く私の元に救急隊員がかけつける。打撲程度の大した怪我ではないと分かっていたが、ショック状態からは抜け切れず、人目もあるから、と救急隊員に誘導されて車内へ。

 意識が鮮明で救急車に乗れることはまれである。車内は広く、助手席、運転席の後部には座席がない。そのかわり担架と人3-4人が入れるスペースがある。酸素吸入用のビニール製の袋が車内天井からぶら下がり、照明は一般車と違い非常に明るい。
 救急車内には、運転席に一人、目の前に二人の隊員がいて、そのうち一人は車内の担架に座っていた。思ったよりも軽傷の私を見て心なしか、しらけ気味になっていた。
 落ち着き涙がとまった私のところへ警官が事情聴取に来た。先ほどの興奮を押さえつつ、事故当時の状況を詳しく聞かれる。いつ、誰にひかれたのか、自転車の持ち主である目撃者男性が犯人ではないのか、病院へは行くのか、治療費は誰が払うのか。
 一通り話し終わった後、警官は言い放つ。「目撃者男性の名前と連絡先、はっきり聞いて記録しておいてくださいね。トラブルの元になるので。」
警官との話が終わると、救急隊員が私に冷たく問いかける。「病院での診察を希望されますか。」
搬送中にまた泣いた。沈黙の車内で、サイレン音だけが空しく響く。

 軽傷で救急車を使用するより、他の重症患者の為に待機させた方が社会全体のメリットとして大きい。一回の出勤にかかる費用は数万円。税金からの支払いである。しかし被害者の立場からすると、搬送されずに放り出されても、事故の混乱現場に気丈に戻れる程精神状態は安定していない。
 「被害者を守るは誰だ?」
たとえ混乱状態であっても、自分を守るのは自分しかいない。いくらか罪の意識を感じたとしても、こんなときの被害者は自己中心になるべきなのだ。なんとも世知辛い世の中であろうか。